違法収集証拠(最判令和4年4月28日)その2
うん、鑑定書は証拠排除されないとの結論。
さてどうでしょう。順を追って検討してみます。
まず、排除法則の一般論としては、大阪覚醒剤事件(最判昭和53年9月7日)がリーディングケースです。違法収集証拠として証拠排除されるためには、①証拠物の押収等の手続に令状主義の精神を没却するような重大な違法があり(「重大違法」の要件)、②これを証拠として許容することが、将来における違法な捜査の抑制の見地からして相当でないと認められる場合(「排除相当性」の要件)の2要件を打ち出しています。
この2要件については、一般的に重畳説(=かつ要件)と理解されていますが、実際の運用においては、2要件はほぼ連動するとされ、重大違法がある場合には排除相当性も認められ、重大違法がない場合には排除相当性も認められない、という関係(あてはめ)になることが多いです。
そうなると、本件において、Aの尿採取に至る手続に「重大違法」があったかどうか、が鍵を握ってくることになります。
原審は重大違法を肯定したのに対し、最高裁は重大違法を否定しています。
重大違法の判断要素として、(a)手続違反の程度(客観的要素)と(b)捜査機関の令状主義潜脱の意図(主観的要素)などを考慮するのが判例・実務の立場です。いわゆる相対的排除説と呼ばれている立場です。
原審は「事前の司法的抑制がなされずに令状主義が実質的に機能しなかった」という点を強調しており、(a)手続違反の程度(客観的要素)を重視しているといえます。
一方、最高裁は、「『犯罪の捜査上真にやむを得ない』場合であるとは認められないとはいえ、この点について、疎明資料において、合理的根拠が欠如していることが客観的に明らかであったというものではない。」と述べています。(a) 手続違反の程度が大きくないという趣旨に読めます。
また、「警察官らに令状主義に関する諸規定を潜脱する意図があったともいえない」として、(b)捜査機関の令状主義潜脱の意図(主観的要素)がなかったことを指摘しています。
考え方の対立軸としては、重大違法の判断要素として、(b)捜査機関の令状主義潜脱の意図(主観的要素)をどこまで強調するのか、という点にかかっているように思われます。
最高裁は従来から、捜査機関の令状主義潜脱の意図にウエイトを置いて判断する傾向が見られます。おそらく、排除法則の根拠として、将来の違法捜査の抑止の点に重きを置いているのだろうと思われます。
捜査機関に令状主義潜脱の意図がない場合には、証拠物の証拠能力を否定したところで、違法捜査の抑制につながらないというのは、それはそれで正しい。
でも、排除法則の根拠としては、将来の違法捜査抑止だけではなく、司法の廉潔性(司法の無瑕疵性)の観点もあるはず。みんなそう習ってきてます。なお、学説的には、将来の違法捜査抑止や司法の廉潔性に加えて、適正手続(憲法31条)も根拠に挙げていますが、判例は排除法則の根拠として適正手続を挙げていないので(昭和53年決定は排除法則につき「刑訴法の解釈に委ねられていると判示しています。」、適正手続の観点はひとまず措くことにします。
司法の廉潔性はふわっとした概念ですが、わかりやすくいえば、「違法な手段で獲得された『汚れた証拠』を裁判所が許容して有罪認定に使用することは、司法が手を汚すものである」というのが司法の廉潔性(司法の無瑕疵性)の要請。そうしないと、司法に対する国民の信頼も失われるという、というのが司法の廉潔性の本来の意味(のはず)。
司法の廉潔性の観点からは、捜査機関に令状主義潜脱の意図があろうがなかろうが、結果的に違法に獲得された汚れた証拠を裁判所が利用すべきではないということになるので、(a)手続違反の程度(客観的要素)を重視すべきだろうと考えられるわけです。
そうすると、違法捜査抑制も大事だろうけど、令状主義潜脱の意図を強調しすぎるのはどうなのかなと。
というのも、例えば、捜査官が違法行為をした場合でも、その捜査官が出来の悪い捜査官だった場合、違法だとは思いもよらずに違法行為をやってしまうことがあり得るわけです。この場合、捜査官は、出来が悪いがゆえに令状主義潜脱の意図はない。そうなると、捜査官の能力が高く、違法行為とわかっている場合には、令状主義潜脱の意図があるとして証拠排除し、逆に捜査官の能力が芳しくなければ証拠排除しないことになってしまいかねないわけです。
これは不当。個々の事案における捜査官の能力いかんによって証拠能力が左右されるとするのはどう考えても妥当とはいいがたいわけです。
そうであれば、様々な能力レベルの捜査官が存在することを念頭に置いて考えるべきであって、客観的にみて手続違反の程度が大きい場合には、たとえ、捜査官に令状主義潜脱の意図がなかったとしても、重大違法を肯定すべきではないか、と思うわけです。
本件では、令状裁判官のミスも重なっています。令状裁判官が正しく審査していれば、令状は発付されていなかったわけです。原審が正しく指摘しているように、「事前の司法的抑制がなされずに令状主義が実質的に機能しなかった」わけです。令状主義が骨抜きになってしまったわけです。この令状主義違反の事情は、重大違法を認定するのに不足はないのではないかと思われます。
このように、重大違法の要件をクリアしたとしても、排除相当性の要件はどうでしょうか。たしかに、令状主義潜脱の意図がない場合には、排除相当性の要件を充足しないとみることも可能でしょう。
でも、これについては、捜査官の主観としては適法な強制採尿ではあったとしても、事後的・客観的にみれば違法な強制採尿をやったのは間違いないわけで、そうであれば、そのような令状主義が機能不全に陥った上で行われた違法捜査に対しては、やはり「Nо」を突きつけ、将来の違法捜査を抑制すべきではないか。証拠排除をすることで、捜査機関に対し、「あらかじめ任意採尿の手続をとった上で、十分な疎明資料を準備するようにさせる」インセンティブを与えることが、将来の捜査の適正化に資するように思われます。
捜査官に悪気はなかったとしても、本来は悪気を感じないといけない場面ではあったわけなので、その意味では、将来の違法捜査抑制のためにも、排除相当性を肯定することは十分に可能ではないかと思います。
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最高裁は、排除法則の根拠について、司法の廉潔性を根拠とせず、将来の違法捜査抑止のみを根拠にしているのかもしれません。この理解を前提とするならば、判例の結論もあながちおかしくないともいえるでしょう。